ロバート・パットナム(1993)

セメスターが始まる前に読書を楽しんでおこうと、下の本を読む。

Making Democracy Work: Civic Traditions in Modern Italy

Making Democracy Work: Civic Traditions in Modern Italy

哲学する民主主義―伝統と改革の市民的構造 (叢書「世界認識の最前線」)

哲学する民主主義―伝統と改革の市民的構造 (叢書「世界認識の最前線」)

[問題設定]1970年代の同時期に設立されたイタリアの地方政府の制度的パフォーマンスが異なるのは何故か。
[議論]地方政府の効率性や民主的応答性といった要素を測定すると、20ある地方政府のパフォーマンスはかなり異なる。そして、その違いはそれぞれの地域のソーシャル・キャピタルの質の違いと相関している。すなわち、北部・中部イタリアの地域は市民の間の自発的アソシエーションが活発で水平的で互恵的なネットワークに基づいた協働が盛んであるのに対し、南部イタリアは垂直的な恩顧的関係が支配的で相互の信頼に基づく協働が少ない。この違いが地方政府の制度的パフォーマンスの違いを生み出していると考えられる。さらに、このソーシャル・キャピタルの違いは11世紀まで遡ることができる。南部では封建的制度が集合行為問題の上位権力による解決と市民間の相互不信を招いたが、中部と北部では市民的自治の伝統が相互信頼と協働の規範を育んできた。この違いが、地方政府の制度的パフォーマンスのみならず、現代の経済格差をも生んでいると考えられる。
[論点]

  • ソーシャル・キャピタルの質と制度的パフォーマンスの関係が経済水準によってひきおこされた「みせかけの相関」ではないことを示すため、19世紀後半の段階では経済格差はそれほど大きくなく、むしろソーシャル・キャピタルが経済発展水準に影響を与えたのであって逆ではないと論じている。しかし、その場合、「なぜ20世紀になって突然ソーシャル・キャピタルが影響力をもつようになったのか」という新たな問いが生まれよう。そして、その問いにパットナムはダグラス・ノースを引いて「より複雑となる工業化、脱工業化社会ではソーシャル・キャピタルの影響力は増す」と論じているが、仮説にすぎない。
  • 随所に制度論的アプローチの議論が散りばめられているが、いわゆる「新制度論」ではない。1970年代につくられた公式の制度自体は20の地域のどこも一緒で、パフォーマンスの違いはソーシャル・キャピタルの違いに求められている。メッセージは「制度が埋め込まれる社会的文脈こそ大事」だということ。制度そのものは重要ではない?
  • 昔の「エートス論」と一緒で、政治文化の話はやはり「宿命論」的となる。現在のパフォーマンスの原因は11世紀からの経路依存性によって説明されるのでは、どうすれば良いの?最後に申し訳程度に「いや制度が社会的規範を形成する側面もある」とつけ加えているが、議論の骨子は「長期の協働によって育まれた相互信頼の均衡を特徴とする北部・中部イタリアと、短期的視野の「囚人のジレンマ」的均衡が支配的な南部イタリア」というものなので、あまり説得力なし。
  • どうやら僕は「政治文化論」が嫌いらしい。