上川龍之進(2005)『経済政策の政治学:90年代経済危機をもたらした「制度配置」の解明』

オイルショックの後、先進工業諸国の中で最も早く危機を克服し高いパフォーマンスを示した日本経済が、なぜバブル経済に突入し、90年代に「失われた十年」を経験しなければならなかったのかを、政治経済学の一貫した論理で説明しようとする労作。その結論は、「70年代後半から80年代前半にかけて、政府・大蔵省が大幅な金融緩和を求めたのに対し、日本銀行はあくまでインフレ抑止を最優先とした金融政策を実施したため、日本経済はスタグフレーションを早期に克服し、輸出主導の経済成長が実現された。しかし、そのインフレ抑止的な金融政策が大きな要因となって、80年代後半にはバブル経済が膨張し、バブルが崩壊した90年代に日本は長期不況に陥ってしまった。さらに、バブル崩壊によって巨額の不良債権が発生したにもかかわらず、信用秩序維持政策を担当する大蔵省は財政資金の投入も含めた抜本的な対応策をとろうとはしなかった。その結果、金融機関の経営問題は深刻化し、ついには金融危機が発生してしまったのである」(pp.2-3)というもの。そして、以上の命題を証明するため、本書は1975年から94年にかけての日銀の金融政策と、92年から98年にかけての大蔵省の金融行政の政策過程を詳細に検討する。まず、70年代後半から80年代中ごろまでの輸出主導の低インフレ・低失業率の経済成長は、春闘による輸出セクター主導の産業別賃金交渉と、通説とは異なり比較的高い独立性を示した日銀の金融政策、という組み合わせに求められる。そして、バブル経済の発生は、政治家・大蔵省の圧力に屈して金融緩和を続けたというよりも、賃金抑制による低インフレでの輸出主導の経済成長を実現してしまったがために、一般物価水準の安定のみを政策目標としていた日銀が資産価格の暴騰に対処できなかった点に求められる。そして、バブル崩壊後の不良債権処理の遅れは、財政・金融一体の制度配置に自己の組織利益を見出していた大蔵省が、組織の解体を恐れ、金融機関の経営状況の悪化という情報を隠蔽し、処理を先送りし続けた結果に求められる。つまり、70年代後半以降の日本経済のパフォーマンスは合理的アクターとしての官僚機構とそれを取り巻く制度・環境条件との相互作用により一貫した論理のもと説明できるのである。

[コメント]
・本書の前半部分では、従来低いとされてきた日本銀行の独立性が実は高かったことが事例研究から示される。しかし、「独立性の高い中央銀行が高い経済パフォーマンスをもたらす」という議論の背景には経済学の合理的期待形成理論があり、事実として中央銀行の独立性が高い・低いという問題よりも、経済主体が中央銀行の政治的圧力からの独立性をどの程度だと評価しているのかが重要となる。だからこそ、先行研究は中央銀行の独立性を法制度や専門家による評価によって指標化していたのではなかったか。本書では、事例研究から日銀が相当程度の独立性を発揮した逸話が繰り返し明らかにされるが、経済主体(企業や労働組合)がその独立性をどのように認識していたのかの論証は少ない。むしろ、その点は「日銀の金融政策の独立性は低い」ということが「通説」であった点が重要ではないだろうか。
・バブル発生のメカニズムを明らかにする部分で、本書は独立した日銀の判断で金融緩和が続けられ、それがバブルを膨張させたと主張しているが、もしそうであればバブルを議論する際に中央銀行の独立性を議論する意義は薄れるのではないか。実際、独立性が高いとされるアメリカの連邦準備理事会もバブルの発生を防げなかったことが示唆されており(第三章脚注196)、独立性の低い中央銀行のほうがバブルを防げるとも言えないだろうから(スカンディナヴィア諸国の例を想起せよ)、中央銀行の独立性とバブル経済とを結びつける議論には無理があるのではないか。