新しい右翼

The Radical Right in Western Europe: A Comparative Analysis

The Radical Right in Western Europe: A Comparative Analysis

The Transformation of European Social Democracy (Cambridge Studies in Comparative Politics)

The Transformation of European Social Democracy (Cambridge Studies in Comparative Politics)

The Politics of the Nazi Past in Germany and Austria

The Politics of the Nazi Past in Germany and Austria

Herbert Kitschelt(1997)は Kitschelt(1994)の枠組みを「新しい右翼」に適用した研究。問題設定は「近年のヨーロッパでは極右政党が勢力を伸張させているが、何故か?また、極右政党の勢力は一様ではないが、何故か?」というもの。この問いに対してKitscheltは需要サイドと供給サイド、すなわち社会変動と政党政治の両面から答えをだしてる。
まず、経済・社会の脱工業化に伴い、旧来の再分配を軸にした左右の対立軸に、参加民主主義やライフスタイルのあり方を問う「リバタリアン権威主義」の対立軸が加わり、政治空間が再編されているという現状認識が提示される。Kitscheltによれば、極右政党が選挙で成功できるかどうかは、穏健保守政党の戦略と、極右政党指導部の選挙戦略次第である。戦後、政権の座を交代で担ってきた社会民主主義政党と中道保守政党が政権維持のために中位投票者の政策位置へと自らの政策位置を移すとき、権威主義右派に分類できる選挙民が選挙空間で疎外される。このとき、極右政党はこの層をカバーするチャンスを得るが、極右政党指導部が単に移民排斥といった権威主義的政策だけでなく、経済の市場化にコミットできるか否かが極右政党勢力伸張の鍵を握っている。というのも、単なる人種差別・移民排斥政策では若年失業者層にしかアピールできないが、経済の自由化を訴えることで農民や商店主といった旧中間階級にまでその支持を広げることができるからである。つまり、経済・社会の変動と政治的機会構造の両者が極右政党の成否を握っているのである。
これに対してヨーロッパにおける「新しい右翼」現象をアイデアの側面から検討しているのがArt(2005)である。問題設定としては、選挙制度も似ており、政治的機会構造といった点では差が少なく、社会経済条件といった点では失業率の高いドイツのほうが極右政党に有利なようにみえるにもかかわらず、オーストリアで極右政党が成功し、ドイツでそれが成功を収めていないのは何故かというもの。この問いに対してArtは、第二次世界大戦前のナチスに対する現代社会の評価に違いがあり、言論空間による極右政党の抑止が異なっていたたことがドイツとオーストリアとの違いの要因だと論じている。
ドイツでは戦後一貫してナチスによる戦前・戦中の蛮行に対する反省が共有され、そうした「悔恨の文化」が極右勢力の拡大を押さえつける働きをしてきた。一方、オーストリアでは、ナチスへの協力といった点ではドイツ本国にひけを取らなかったにもかかわらず、ナチスドイツによる併合の被害者であるとする「犠牲者の文化」がより広範に共有されており、それが極右勢力の伸張を防げなかった一つの要因となった。すなわち、エリートの言論が人々の意識を規定し、そうした「アイデア(観念)」の次元が政治に帰結したのである。
さて、脱工業化による「リバタリアン権威主義」軸の形成と、若年失業者層の拡大といった社会・経済条件ではヨーロッパに近づきつつあるかにみえる日本で極右政党の勢力伸張はあるだろうか。まず、若年失業者層が移民に職を奪われたと感じるほど移民受入が進んでいないこと、政権与党である自民党が右傾化を進めていることから、近い将来の「新しい右翼」の成立はないだろう。しかし、今後、労働力として移民受入を進めていったとき、果たして日本の言論空間は人種差別・移民排斥を唱える極右政党の跋扈に歯止めをかけることはできるだろうか。