事例紹介と比較政治学の間で――宮本太郎編『比較福祉政治』を読む

  • あんまりにもネタがないので、昨夏の日本滞在中に書いた雑文をうp。全論文を網羅していないうえ、今となっては各論文の詳細も覚えていません。尚、最後の辛口の批評は自分自身に向けられたものでもあります。

比較福祉政治―制度転換のアクターと戦略 (比較政治叢書)

比較福祉政治―制度転換のアクターと戦略 (比較政治叢書)

本書は、再編期に突入しつつある主に欧州の福祉国家の動態を、気鋭の研究者らが分析した書物である。ちなみに、日本比較政治学会が編み始めた比較政治叢書のうち、恒川恵一編『民主主義アイデンティティ』に続く第二巻目となる。本書を一読した感想は、社会政策をめぐる各国の動向がそれぞれの主題に沿って簡潔にまとめられており非常に勉強になるのだが、情報の提供を目指す事例の紹介と比較政治学の理論の発展を目指す志向性の狭間でどっちつかずの内容となっているというものである。つまり、目新しい情報はそこかしこに散りばめられているのだが、その現状を説明する(なぜそのような状況に至ったのかの因果関係を同定する)という点では、欧米の先進的な比較政治理論から借用された仮説が現状を解釈するためだけに用いられていて、仮説の検証・反証や理論的発展の貢献には至っていないように思われた。以下、各論文に沿ってその根拠を述べてみたい。
近藤康史「『第三の道』以後の社会民主主義福祉国家」、および野田昌吾「ポスト新保守主義時代の保守政治」は、ともにイギリスとドイツの現代政治を、近藤は社会民主主義勢力の側から、野田は保守政治の側から比較した論文である。近藤論文はイギリス・ドイツ両国の労働市場政策と年金政策がコンパクトにまとめられており便利ではあるが、従属変数(何を説明対象とするのか)が定かではない。イギリスとドイツの福祉改革の達成度の違いなのか、それとも言説戦略の違い(p.19)なのか。「達成度の違い」だとすると、ドイツのケーススタディでは、「制度的制約にもかかわらず改革が進んだ」(p.17)とされる一方、ドイツの年金改革は大きな効果を上げることができなかった(p.18)とも指摘されており、率直に言って評者の頭は混乱した。
野田論文は近年のヨーロッパにおける保守政治の「危機」を論じている。野田は保守政党が危機に陥った要因として、物質主義的争点での社民勢力との収斂化(新自由主義化)と、脱物質主義の政治争点化を挙げている。つまり、保守政党政権政党たらしめていた戦後福祉国家的枠組みの消滅である。しかし、なぜ保守政党が伝統的価値にコミットすることが保守の勢力伸張を保障しないのか説明が十分でないように思われる。イングルハートを基にしたハーバート・キッチェルトの議論に接合する必要があったのではなかろうか。
眞柄秀子「政治的党派性とサプライサイドの福祉政策」は、本書のなかで例外的に先行研究から引き出された仮説を体系的に検証するスタイルを取っている。人的資本形成戦略(公的教育支出のGDP比)の規定要因を問うた眞柄論文にはその点で好感を持てたが、眞柄自身認めるように(p.63)、データの制約からその分析は予備的なものにとどまっている。また、主要な説明変数の一つである拒否点プレイヤーの数は統計的に有意となっていないが、ツェベリスに従えば、数ではなく拒否点プレイヤーは間のイデオロギー的距離こそが影響するのであるから、それを回帰分析に投入すべきであったろう(ちなみに、ツェベリスは連立政権内の両極の政党間の政策的距離を二つの政策次元で算出し、HPで公開している)。そして、前時点での公的教育支出GDP比を回帰分析に投入し、その係数を経路依存性の働きの強さとして解釈しているが、計量分析だけからそう解釈するのは難しい。もちろん、統制変数としてラグ従属変数を投入することは望ましいが、それと従属変数との間の相関の強さは二つの時点で変化していない変数がもたらしたみせかのけの相関と捉えるのが素直な見方であろう。経路依存性の影響を探るには別の方法論が必要と思われる。
宮本太郎「福祉国家の再編と言説政治」は、福祉国家論の理論枠組みの発展が現実世界での福祉国家を巡る政治状況の展開と対応関係にあることを指摘する。すなわち、福祉国家形成期は政治的動員を問う権力資源動員論がその理論的優位を確立し、福祉国家縮減の政治では受益者の利益集団化を対象化した新制度論の有効性が増し、福祉国家再編の政治では福祉国家が確立した制度自体の変化を問える言説政治論がその説明能力を増すということである。言説政治論への注目は、宮本論文だけでなく、本書全体(特に近藤論文と田村論文)が共有するものであるが、この宮本のレビュー論文は「アイデアの政治」の分析枠組みとしての優位性までを論証したものとは思われない。というのも、言説は制度の枠組みに規定されるため、言説が媒介変数としての効果を超えて、独自の効果を持つことを論証する方法論が明示されていないからである。しかも、同じ言説でも異なる政治的文脈ではその意味合いが違ってくることから、他の変数をコントロールして因果効果を測定するという作業は極めて困難に思われる。
田村哲樹ジェンダー平等・言説戦略・制度改革」は、近年の日本における男女共同参画政策を先の言説政治論の視角から分析したものである。田村論文は日本の男女共同参画政策を巡る言説の配置状況が、対抗言説をその内にはらみながらも、「普遍的稼ぎ手モデル」の優位で進展したことを明らかにしている。この「普遍的稼ぎ手モデル」規範の優位が言説の競い合う政策過程で制約要因として働いているとすれば、ただちにぶつかる疑問は「何がその優位をもたらしたのか」ということであろう。近代化論が教えるように、社会経済状況の変化が女性の労働市場への進出を促進し、意識変革をもたらしのであろうか。たしかに、言説政治の枠組みは政治過程の解釈のツールとしては便利なのだが、田村論文では媒介変数としての位置を越えていないように思われる。
以上、各論文の要点と問題点をまとめてみた。「アイデアの政治」は欧米の比較政治学・比較政治経済学において流行となりつつあり、その潮流をいち早く取り入れた研究が比較政治学会の叢書として編まれるというのは日本の比較政治学の水準の高さを示していると思われる。しかしながら、いまだそうした先端の理論が「借り物」の域を脱しておらず、正面から先端理論に取り組んで、実証研究からそうした理論の射程を検証し、理論的に乗り越えていこうとする志向はいまだ弱い。オランダの研究者らが、オランダ語という言語的障壁の高さを利用して、特殊な自国の事例研究から比較政治理論一般への貢献を行ってきたように(Lijphart, van Kersbergen, Visser & Hemerijk, etc.)、様々な面で特殊な日本のアノマリー的側面を利用して、日本の事例研究から比較政治学に理論的貢献を行うことは可能だし、アメリカやヨーロッパの研究者はそれを期待している。単なる先端理論の消費者を脱し、いかに理論的貢献を図っていくかというのが、これからの日本の比較政治学の課題であろう。