青木昌彦『私の履歴書 人生越境ゲーム』

人生越境ゲーム―私の履歴書

人生越境ゲーム―私の履歴書

比較制度分析で著名な世界的経済学者がアドベンチャーともいえる半生を振り返った自伝。日本経済新聞に連載された「私の履歴書」を加筆修正し、近年、新聞に掲載された書評と『論座』での加藤創太氏との対談を収録。
青木氏はこれまで沈黙を守ってきたそうだが、1960年代の安保闘争時に「姫岡玲治」として活躍したブントでの活動にかなりの紙幅を割いている。そして、制度化する「運動」に違和感を感じ、ブントを離れ東大大学院へ進学、ミネソタ大学やハーバード大学での大学院生生活、スタンフォード、ハーバード、京都大学と日米を往復する研究生活、オープンな知の集積場を目指した経済産業研究所の立ち上げと挫折など、その起伏に富んだ人生が意外にあっさりと述べられている。
読んでいて感じたのは、青木氏がもつ共同体へのコミットメント(献身)への違和感である。ブントの運動でも、それが「組織の建設を自己目的化」し始めた時点で放り投げているし、経済産業研究所の所長職もその理想主義的ベンチャー霞ヶ関の論理に掘り崩され始めるとあっさりと身を引いている。「組織に運命共同体的な価値を見出すという思想」(p.86)は微塵もないのだ。青木氏の業績は、時に誤解されるが、80年代においても「日本型経営礼賛」では(その裏返しの「全否定」でも)なかった。単に、制度的文脈が違えばA企業(アメリカ型)とJ企業(日本型)という形で適応戦略とパフォーマンスが異なるということである。こうした醒めた視線が比較制度分析に結びついたのであろうが、おそらく氏は日本に過度の「運命共同体的な価値」をみていない。研究業績がその生き方を反映した好例といえよう。