Margarita Estévez-Abe (2008)

Welfare and Capitalism in Postwar Japan: Party, Bureaucracy, and Business (Cambridge Studies in Comparative Politics)

Welfare and Capitalism in Postwar Japan: Party, Bureaucracy, and Business (Cambridge Studies in Comparative Politics)

[問題設定]
これまでの福祉国家論では「日本は小さな福祉国家しかもたない」とされてきた。たしかに、GDPに占める社会保障支出だけをみれば日本はアメリカと並ぶ福祉後進国となる。しかし、キャンベルやカザの研究が示すとおり日本の年金制度や医療制度はヨーロッパ福祉国家と遜色がないうえ、狭義の「公的社会保障プログラム」への機能的等価物ともいえる雇用保障や市場規制は他国と比しても充実している。実際、「小さい福祉国家」にもかかわらず、「平等な社会」を実現してきたのである。しかしながら、西欧バイアスを持つ既存の福祉国家論はこうした公的福祉への機能的等価物に対して関心を払ってこなかったがゆえに、「小さい福祉国家」と「平等な社会」の並存を理論的に説明することができない。では、いかにして特異にみえる日本の社会的保護のありかたを普遍的な枠組みから捉えることができるのであろうか。
[理論]
結論からいえば、各国の社会的保護のあり方は選挙制度によって規定される。というのも、選挙制度は社会的保護プログラムのあり方に直接的に影響し、それと密接に関連する国家の徴税能力に対しても議会内拒否点プレーヤーの編成を通じて間接的に影響するからに他ならない。
社会的保護プログラムの形態を規定するのは選挙区における定数である。まず、小選挙区制度というのは選挙区から一人を選出する制度に他ならないため、組織票のみならず、未組織有権者に訴えかける福祉政策、すなわち普遍的な社会保障プログラムを志向することとなる。一方、比例代表制度を中心とする大選挙区制度の下では、政党や候補者は組織票に訴えかけるだけで当選が可能となるため、分立した社会保険制度や一部の利益団体(職能団体や労働組合)を利する機能的等価物(市場規制や公共事業)を志向することとなる。
この選挙制度の影響を複雑にするのが、個人への投票の重要性の強弱である。政党規律の弱い分権的な政党では、候補者個人の集金と選挙運動が重要となるゆえ、小選挙区制度のもとでは選挙区全体への利益誘導と特定団体に対するレントの形成が盛んとなり、社会的保護プログラムの地理的な不均衡を生み出す。また、大選挙区制度のもとでは、選挙区一般すら考慮する必要がなくなるゆえ、特定集団への利益誘導がより激しくなる。一方、政党規律の強い集権的な政党では、小選挙区制のもとでは、候補者個人が政治資金集めをする必要がなくなるので、未組織有権者を標的とした普遍的プログラムが中心となる。これに対して、大選挙区制度下では、政党規律が強い政党でも組織票が重要となるゆえ特定利益団体向けの社会保障プログラムが重要となるが、利益誘導によるレント形成は不要となる。
選挙制度は国家の徴税能力に対しても重要な含意を持つ。まず、拒否権プレーヤーの数は、一般に、公的社会保障支出の規模に対して負に働くとされるが、議会内拒否点プレーヤーに関していえば、むしろ国家の徴税能力に対して正の方向に働く。というのも、単独政権では政策決定の特定性(identifiablility)と答責性(accountability)が最大になるのに対し、連立政権や少数政権では政策決定の特定性と答責性が薄まるので増税が可能となる。大選挙区制下では、政党は不人気政策を打ち出しても選挙における手酷いしっぺ返しを喰らう可能性が低いのである。小選挙区制は単独政権を形成しやすく、比例代表制は連立政権および少数政権を形成しやすいため、選挙制度が徴税能力を規定するといえるのである。ただし、政党規律が弱い場合、個人への投票が重要となり、そのために特定の政治家につながる利益団体に少しでも不利益となる政策はとられ難い。
このように、選挙制度に強く規定される三つの次元(District Magnitude, Personal Vote, Government Type)により、それぞれの政権の社会的保護戦略を説明することが可能となり、しかもそれは国家間、政策間、時系列での比較を可能とするのである。
[実証]
日本の広義の戦後社会保障政策を通観し、その特徴を上記の理論枠組みから説明する。著者は説明変数の変化により、日本の戦後史を次の四つの時期に区分する。保守政権期(1951-1989)、部分少数政権期(1989-1993)、連立政権期I(1993-1996)、連立政権期II(1996-現在)、の四つである。
はじめの保守政権期は、中選挙区単記非委譲式投票制度の特徴が遺憾なく発揮された時期であった。この選挙制度の下では、政権党の政治家は同じ政党の候補者と選挙区で競合するため、政党というよりも個人への投票が重要となり、その集票・集金マシーンを維持するための特定集団への利益誘導が活発に行われた。しかも、この「同士討ち」のゆえ、政権政党たる自民党内には政党内拒否権プレイヤーともいえる派閥が林立し、少数派が事案をストップしやすい総務会や政務調査会といった党内組織が制度化されたのである(政務調査会は、各省庁と結びついた族議員化による選挙区内での横割り方の利益誘導の制度化を促す装置でもあった)。こうした自民党の構造は政治家をして特定利益団体に奉仕させ、こうした団体に拒否権を与えしめることともなった。逆にいえば、選挙区に満遍なく利益がいきわたる普遍主義的社会保障プログラムを推進するインセンティブは生まれなかった。
それがゆえに、職域ごとに分立した年金制度や健康保険制度は発達したものの、普遍主義的にならざるをえない失業保険制度や家族手当といった勤労者向け施策は後手に回ったのである。勤労者への手当ては、特定の市場を保護する護送船団方式や、公共事業による雇用確保を通して行われた。つまり、この時期の日本の福祉国家の特徴は二重の意味で「雇用依存型」といえた。すなわち、労働者の社会的保護は労働を通じて確保されたうえ、医療や退職後現金給付は現職時の雇用に結び付けられて階層化されていたからである。
さらに日本の社会的保護を説明するうえで重要なのは、社会保障制度に対する官僚機構の選好である。上述の通り、支配政党である自民党内には政務調査会や総務会を通じて無数の政党内拒否点プレーヤーが叢立っていたが、この一つのエージェンシー(官僚機構)に対する複数のプリンシパル(政治家)という状況は官僚の裁量権を大きくした。実際、族議員化は自民政治家の専門知を高めたというが、政治家が政策立案を官僚に大幅に依存せざるを得ない状況というものに変わりはなかったのである。こうした状況を利用し、官僚達は基金を形成できる拠出型のプログラムを形成していくこととなった。拠出型のプログラムでは特殊法人特別会計を設置でき、その管理ポストに天下り先を確保できるからである*1
次の部分少数政権期は、1989年参院選自民大敗を受けた参院での与野党逆転状況を指す。中選挙区制に規定された特定利益団体重視という自民党議員の政策選好自体に変化はなかったが、議会内拒否点プレーヤーの数が増えたため、新しい拒否点プレーヤーの支持基盤である勤労者とその家族向け施策拡充に労働官僚や厚生官僚が動くことができたのである。
連立政権期I(1993-1996)は大陸ヨーロッパ型の福祉政策の拡充期であった。細川内閣による非自民連立政権は大選挙区制下の連立政権ともいえ、その点でヨーロッパ型の福祉国家の典型と政権形態を同じくしていたからである。この細川内閣から小選挙区比例代表並立制による初めての選挙までの連立政権期、労働組合を支持基盤とする政党が政権に参加し議会内拒否点プレーヤーとなることができたため、育児休業制度や介護保険制度など、従来の自民党の支持基盤を超えた包括的な福祉プログラムの導入が相次いだ。連立政権の威力であろう。
連立政権期II(1996-現在)について、著者は次のような予言を行う。すなわち、単独政権を生み出しやすい小選挙区制度主体の選挙制度に変わったうえ、内閣および政党執行部に権力の集中する制度変更が行われたため、日本の社会的保護システムはイギリスのそれに近似していくであろうという予測である。小選挙区制、単独政権、個人への投票の重要性の低下という組み合わせは、普遍主義的な社会保障制度ではあるが規模の小さな福祉国家をもたらす。小泉内閣により政党執行部の集権性は著しく高められたため、イギリスの諸条件と類似する。著者は日本の社会的保護システムがイギリス型に近づいていくか、それとも別な道を歩むかは、参議院で野党が多数を占めるため、次の衆議院選挙区がターニングポイントとなるであろうと予測し、本書を閉じる。
[コメント]

  • 中選挙区制度の特徴が形成する政策決定者のインセンティブから日本型福祉レジームを説明するという試みは概ね成功しているように思われる。
  • しかし、1989年以降の連立政権期の福祉政策の特徴を(District Magnitude, Personal Vote, Government Type)の三要素から説明する試みは成功しているとは思われない。確かに、普遍的福祉政策の拡充と外形的な制度的形態(大選挙区制+少数or連立政権)は西欧福祉国家のそれと一致するかもしれないが、著者が理論編で主張したメカニズムと日本の現実政治との流れが必ずしも一致しない。例えば、参議院での自民党過半数割はゴールドプランをもたらしたが、それは「部分少数政権」が徴税能力を引き上げたからではなく、自民党単独政権での消費税導入が激しい選挙上の制裁を自民党にもたらしたからである。租税基盤の拡大が部分少数政権をもたらしたのであった、その逆ではない。また、非自民連立政権期から自社さ連立政権期を西欧型福祉国家に近似していく期間としているが、村山内閣での消費増税は所得減税との増減税一体化であり、かならずしも徴税基盤ん拡大にははたらいていない。むしろ、民間労組・官公労創価学会といった都市勤労者を支持基盤とする小政党が政権に参加したことが重要であって、それは著者の選挙制度モデルよりも党派政治モデルに親和的であろう。
  • 著者の未公刊博士論文は「貯蓄指向型」の公私の福祉プログラムが日本型経営と制度的補完性にあったことを指摘するものであったが、その議論は第六章に多少名残を残す。以前の議論では因果関係が双方向となりうる「補完性」を指摘するにとどまっていたが、本書では政治制度のありかたが日本型社会保護システムを形成し、1970年代に日本型経営の完成をみるといったように、議論の方向がクリアとなっている点は評価できる。しかし、選挙制度が「拠出型プログラム志向」という官僚の選好を形成し、貯蓄型公的プログラムを林立させたのはよいとして、日本の政治制度配置がなぜ生命保険会社や信託銀行に資金が集中し安定資本を生み出しやすい貯蓄型私的プログラムを形成したのかは十分に論ぜられていない。
  • 著者はジェンダー格差の視点から捉えた比較政治経済学の世界の牽引者であるが、本書ではジェンダーは役割を与えられていない。レナード・ショッパが指摘するように、公的部門が直接果たす役割の小さい日本型社会的保護システムは企業福祉と家族に支えられてきたというのが定説となりつつあるにも関わらずである。ショッパの枠組みが記述的であったが故にジェンダーの側面を記述(説明ではない)出来たのに対し、汎用性の高い政治制度中心の枠組みでは捉えられなかったということだろうか?

*1:天下りについては日本の内部労働市場中心の労働市場慣行があったことも忘れてはならない。