アムステルダム珍道中一日目

thieda2008-12-10

火曜日の福祉国家研究会が滞りなく行われたのを見届けた後、その足でフィレンツェ空港へ向かい、アムステルダム行きの飛行機に乗り込みました。木曜日と金曜日に開かれるヨーロッパ社会政策研究ネットワークのワークショップに参加するためです。到着した日は遅かったので、駅前の「英国式朝食一日中提供」という風変わりな店でホットチキンウィングのプレートをいただき、タクシーでホテルに向かい、チェックインして終了。

翌日は駅で市電の路線図と回数券を入手し、早速『ゴッホ美術館』に向かいました。市電(トラム)は本当に便利で、ひっきりなしにやってくる上、社内には車掌がいてチケットをチェックしてくれるし、電光掲示板が行き先と次の停車駅を表示してくれるので初めていく場所でも迷いません。しかも車内放送もあるし。フィレンツェのバスとは大違いです。
http://www3.vangoghmuseum.nl/vgm/index.jsp?page=paginas.talen.ja
さて、アムステルダムの『ゴッホ美術館』はゴッホの油彩を200点以上収蔵している、そのコレクションは間違いなく世界一でしょう。年代順にゴッホの技法の変遷を追うことができます。驚いたのはゴッホが画家を志すのが27歳ごろで、それから自殺するまでのほぼ十年間で膨大な量の絵画を書き上げたということ。しかも、有名な作品は最後の数年にかたまっています。ゴッホが浮世絵を収集し、その技法の研究に励んでいたことは有名ですが、浮世絵の模写も数点展示されていました。意味も分からず書いたであろう漢字が面白かったです。ちなみに、ゴッホの招きで一時期一緒に暮らしたゴーギャンの作品もいくつか展示されていました。ゴーギャンゴッホにカミソリで切りつけられて出て行かざるを得なくなったそうで、彼にとっては災難でしたね。

次に向かったのがアムステルダム国立美術館。ここはレンブラントをはじめとしたフランドル派の名作が多数収蔵されている美術館です。しかし、今回訪ねたときの展示の目玉はどこかの阿呆が作った"For the Love of God"という19世紀人の骸骨にプラチナとダイアモンドを散りばめたキワモノ。展示室に長蛇の列ができていたので「レンブラントの『夜警』にでもならんでいるのかな」と思いきや、レンブラントの名作の脇に列ができていました。この作品のタイトルは作者が母親に「骸骨に8600個のダイアモンドを埋め込んだ作品を作る」と語ったところ、その母親が叫んだ言葉だとか。確かに英語では驚いたときに "Holy mother of God!!"とか言いますね。

さて、レンブラントと骸骨以外に面白かったのが和蘭帝国時代の収蔵品の数々。スペイン艦隊を破ったときの司令官の絵だとかも面白いんですが、東インド会社関連も興味深かったです。東インド会社のディレクターの一人は日本人の芸妓と結婚してオランダに連れ帰っていたなんて知っていますか?昔風のオランダ紳士の横に並ぶ奥方と娘二人は洋装をしているものの顔が和風なので不思議だなと思って解説を読んで驚き。日本とオランダとの結びつきは江戸時代までさかのぼるわけですね。
その後、コンセルトヘボウでのコンサートまで間があったので、ライゼ広場近辺のパブで時間つぶし。つまみに頼んだナチョがオランダサイズでびっくり。チーズが本格的ゴーダチーズを温めてかけたらしく、三分の一を食べただけで翌日まで胸いっぱいになってしまいました。これで本日の夕食終了。

コンセルトヘボウではウェブで予約したチケットをボックスオフィスで受け取り、クリスマス恒例というジャズコンサートへ。今回はコンセルトヘボウの金管ジャズバンドに若い男の子と Oleta Adams さんというアメリカから招いた女性黒人シンガーによるクリスマスソング主体のコンサートでした。男の子のほうは声量もイマイチでハートに届かない歌声でしたし、オケのほうもアドリブ的なソロがたくさんあったのに何故か一生懸命譜面を読んでいるように聞こえるという感じで難でしたが、Oletaさんが殊色の出来でした。やっぱりジャズはオランダ人の音楽ではないのかもしれません。それから、アンコールで「ホワイト・クリスマス」を歌ったときに、歌手二人と指揮者が何度となく聴衆に一緒に歌うように呼びかけたのに、みんなは全然歌わず。誰でも英語を難なく話す土地柄なので曲をしらないということはないので、きっとオランダ人はシャイだからなのではないかというのがいまのところの仮説です。

コンサートを終えた後、市電に乗ってホテルに帰ったのでした。遅くまで走っているので本当に便利。宿では翌日のワークショップの報告ペーパーのいくつかを斜め読みしてから床に就いたのでした。